今の私のスタンスに大きく影響しているのが、私の少女時代。私はトンネル掘削専門業に生まれ、「飯場(はんば)」の中で育ちました。このシリーズでは、私自身というよりも私が飯場でみてきたことを綴っていきたいと思います。しなやかに、たくましく生きた女性たちの姿が、現代を生きる女性たちの励ましになることを確信して、私のみてきたことをお話しします。
今の私の造園家としてのスタンスは、私の少女時代が強く影響しています。私の生まれた家は、トンネル掘削専門業を営んでおり、高度経済成長期のインフラ整備のために、トンネル工事が全国で盛んに行われていた時代に私は生まれました。トンネル掘削業の家は、ちょうど大衆演劇の芝居一座のように、家族と従業員一行で現場から現場へと移動しながら暮らします。トンネルを掘る男たちと一緒に、女性や子供は「飯場(はんば)」を切り盛りしてその暮らしを支えてきました。ですから私は、小学校の6年の間に9回も転校し、全国を転々として育ちました。せっかく仲良くなった友だちと別れるのはいつも辛かったけれど、おかげで私は北から南まで、日本中の豊かな植物に触れて育ちました。
今でも野の花や草木を見ると、ふと当時の記憶が呼び覚まされることがあります。不安でうつむいて歩く私の足元に咲いていたワスレナグサ、仲良しの友だちの家の道すがらに咲いていたタチアオイ、さよならを言わなくちゃいけない日、青空に揺れていたオミナエシ…。まるで植物は、私の思い出の箱を開ける鍵。私の周りでさりげなく咲いていた草花は、いつしか記憶にしっかり焼き付いて、その花を見たり、香りをかいだりすると、当時の風景とともに少女の私の感情までもが鮮やかに蘇ってきます。その懐かしさに浸る時間は、歩きつづけてきた足をちょっと休ませてくれる、ベンチのように心地よいものです。
ですから、私は庭をつくるときに施主さまがどこで生まれ、どんなふうに暮らしてきたのか、そのバックグラウンドを知ることをとても大切にしています。そして、花でも木でも石でも、施主さまの育った地域の自然を庭デザインに取り入れた提案をするようにしています。故郷の花はときとして、どんなに美しい花より人の心に寄り添ってくれるものです。思い出をデザインに落とすのも、私の造園スタイルの一つです。
また、飯場での暮らしを通して、私は小さな頃から本当にさまざまな人間模様を見てきました。日銭を稼げる現場の仕事ですから、背中に鮮やかな「絵」のあるおじさん達や農閑期の農家さん達など、いろいろな人が一緒に暮らしていて、ケンカも日常茶飯時。でも、子どもの私の前では、そんな大人たちも気を張らずに済んだのかもしれません。小さな私の前で、絵入りの大きな背中を丸めてポロポロ泣くおじさんもいました。どんな人も、苦悩や弱さ、そして優しさを抱えながら、必死にカッコよく生きていました。幼い頃からこうしたさまざまな事情がある、さまざまな人たちと触れ合って暮らしてきたことも、今の私のスタンスに大きく影響しています。
このページはMy Historyというタイトルですが、私自身というよりも私が飯場でみてきたことを綴っていきたいと思います。特に、男性の働く姿はドラマや映画などでスポットライトが当たることがありますが、それを支えた飯場の女たちは語られることがありません。しかし、旅の暮らしを快適に楽しく、健やかに営むには、飯場の女たちの存在があればこそでした。しなやかに、たくましく生きた女性たちの姿が、現代を生きる女性たちの励ましになることを確信して、私のみてきたことをお話ししていきたいと思います。